国指定史跡「乙塚古墳附段尻巻古墳」

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ページ番号1003298  更新日 2023年5月30日

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国指定史跡「乙塚古墳附段尻巻古墳」概要

概要
名称 乙塚古墳附段尻巻古墳
よみかた おとづかこふん つけたり だんじりまきこふん
所在地 岐阜県土岐市泉町久尻字勝負1332 他
史跡指定日 昭和13年(1938)12月14日

乙塚古墳と段尻巻古墳は、どちらも飛鳥時代(7 世紀前半)に作られた古墳で、土岐川右岸の河岸段丘縁辺部、標高約150m に立地しています。当時はヤマト王権によって各地方の領域再編が進み、律令国家へとつながる基礎が築かれた時代でした。両古墳は、ヤマト王権によるこの地方の支配の様子を考える上でとても重要な遺跡であることなどから昭和13年(1938)12月14日に国指定史跡となりました。

これまでに実施した調査と史跡整備
測量調査 平成12・14年 (2000・2002)
発掘調査 平成15 ~ 18年 (2003 ~ 2006)
平成26 ~ 28年 (2014 ~ 2016)
平成30 ~令和3年 (2018 ~ 2021)
史跡整備 令和元~ 5年 (2019 ~ 2023)
乙塚古墳附段尻巻古墳パース
乙塚古墳附段尻巻古墳

見学について

敷地内はご自由に見学いただけます。石室は原則毎月第2日曜日(午前10時~午後3時)に公開しています。

乙塚古墳

乙塚古墳とは

乙塚古墳は、美濃地方最大級の横穴式石室を持つ大型方墳です。当時の大型方墳は、ヤマト王権と親しい関係性にあり、広域を治めていた豪族に採用された特別な墓でした。そのため乙塚古墳の存在は、当時の東美濃地域に乙塚古墳の被葬者が治めた1つの行政区域(後の刀支評(ときのこおり)・土岐郡)があったということを示しています。その推定される範囲は、現在の多治見市(土岐川以南)、土岐市、瑞浪市に加え、恵那市と中津川市の大部分を包括する広大なものでした。

この乙塚古墳の石室は、安土桃山時代(16世紀末)頃から江戸時代(17~18世紀)にかけて、近隣の窯の陶工たちによって工房等として再利用されています。そして、工房としての利用が終わった後には、陶器作りの神としての陶祖神や、窯業原料をもたらす山の恵みを敬うための山神を祀った窯業に関連する祈りの場となりました。その祭祀は現在まで継続しており、この習慣が近隣住民と古墳を現在も結びつけ、史跡保護の一助となっています。

乙塚古墳外観写真
乙塚古墳正面(整備後)
乙塚古墳石室内部写真
乙塚古墳石室内部(整備後)

乙塚古墳の特徴

墳丘の段築や葺石を省略する一方で、美濃国内の他の大型方墳と比べても同等以上の巨大な石室が造られています。周溝も備えていませんが、墳丘周りの地山を削平して均しており、それに伴って墳丘端部も地山から削り出されています。

両袖式の石室は、胴張形の玄室奥壁に鏡石を設置し、玄門部はまぐさ石と立柱石によって構成されています。側壁は3段積みで、玄室天井には3石、羨道(せんどう)天井には4石架けられています。石材は主に近辺で産出される花崗岩を用いており、間詰石や礫床にはチャートも用いられています。

石室内は、江戸時代の再利用による影響が大きく、礫床は玄室内にわずかに残るのみでしたが、それを手がかりに復元的整備が行われました。実際の礫床の上に保護盛土を行って礫床を復元しているため、復元後の床面は本来の床面よりも20センチメートル程度高くなっています。また、羨道から前庭部にかけて、小礫を詰めた排水溝が設けられていました。副葬品はほぼ失われており、土師器片と須恵器片の他、鉄製品片がわずかに見つかっているのみです。

乙塚古墳玄室の西側壁際の礫床写真
乙塚古墳玄室の西側壁際の礫床(発掘調査後)
乙塚古墳の羨道の排水溝写真
乙塚古墳の羨道の排水溝(発掘調査後)

乙塚古墳の諸元

墳形

 方墳(上から見ると四角形)
 南北27.4m、東西26.1m、残存高5.8m、段築なし、葺石なし、周溝なし

横穴式石室

 両袖式、胴張、奥壁鏡石、玄門立柱石、まぐさ石、礫床、排水溝、石材は主に花崗岩
 全長19.2m(美濃地方最大級)

乙塚古墳 石室詳細
玄室 全長5.1m、最大幅2.7m、最小幅1.9m、最大高3.0m、最小高2.7m
玄門 高2.1m、幅1.9m、奥行(最大)0.9m、奥行(最小)0.6m
まぐさ石 天井からの突出幅0.6m
立柱石 西側壁からの突出幅0.5m、東側壁からの突出幅 0.25m
羨道 全長5.4m、最大幅2.6m、最小幅2.3m、最大高2.7m、最小高2.4m
羨門 高2.4m、幅2.6m
前庭部 全長8.1m、最小幅(羨門)2.6m、最大幅(墳端)4.2m

 

主な遺物:鳥鈕蓋

 鳥形のつまみが付いた蓋です。東海地方でしか見られない特殊な装飾付き須恵器で、出土例も大変少なくとても珍しいものです。鳥の種類は不明ですが、死者の旅立ちを鳥に託したものと考えられています。

 

乙塚古墳から出土した須恵器「鳥鈕蓋(とりちゅうふた、とりつまみふた)」写真
乙塚古墳の墳丘から出土した須恵器
「鳥鈕蓋(とりちゅうふた、とりつまみふた)」
乙塚古墳の石室展開図(略図)の図
乙塚古墳の石室展開図(略図)

段尻巻古墳

段尻巻古墳とは

段尻巻古墳は、土岐市内では最大級の円墳です。乙塚古墳の被葬者が治めたと考えられる領域内の他の古墳と比べても大きく、乙塚古墳に近接するその立地からも乙塚古墳の被葬者と密接な関わりを持つ有力者一族の墓と考えられます。

段尻巻古墳正面の写真
段尻巻古墳正面(整備後)
段尻巻古墳の石室内部写真
段尻巻古墳の石室内部(整備後)

段尻巻古墳の特徴

乙塚古墳同様に墳丘には段築や葺石、周溝はありません。石室の礫床はとても良好な状態で残っており、前庭部や羨門(せんもん)では礫の平な面を揃えて並べ明瞭な境目が作られていました。この礫床は保護のために埋め戻し、復元的整備が行われました。羨道から玄室へかけて堆積していた厚さ40センチメートル程の土砂を残したままその上に礫床を復元しているため、復元後の床面は本来の床面よりも50センチメートル程度高くなっています。

擬似両袖式の石室は、玄室奥壁に鏡石を設置し、玄門部はまぐさ石と2段に分かれる立柱石によって構成されています。側壁は3段積みにしようと考えたようですが、実際には3から5段積みとなっており、玄室天井には3石、羨道天井には2石架けられています。石材は主に近辺で産出される花崗岩を用いており、間詰石や礫床にはチャートも用いられています。

羨道の割れた天井石は接着剤で接着して修復し、昭和40 年頃から支えに使われていた丸鋼よりも耐久性の高いステンレス鋼材で支え直す整備が行われました。

石室内は部分的な発掘しか行われていないため、見つかっている副葬品は、わずかな須恵器片と土師器片のみです。

段尻巻古墳 前庭部の発掘
前庭部の発掘調査の様子
段尻巻古墳 発掘後 前庭部
前庭部(発掘調査後)
段尻巻古墳 礫床
礫床(発掘調査後)
段尻巻古墳 天井石
中央で破断した天井石(土を取り除いた様子)

段尻巻古墳の諸元

墳形

 円墳(上から見ると円形)
 直径23.9m、残存高4.1m、段築なし、葺石なし、周溝なし

横穴式石室
 擬似両袖式、奥壁鏡石、玄門立柱石、まぐさ石、礫床、石材は主に花崗岩
 全長9.5m

段尻巻古墳 石室詳細
墳丘 全長23.9m、最大残存高4.1m
石室 全長9.5m
玄室 全長3.6m、最大幅1.75m、最小幅1.6m、最大高2.3m、最小高2.1m
玄門 高1.7m、幅1.3m、奥行(最大)0.60m、奥行(最大)0.30m
まぐさ石 天井からの突出幅0.3m
立柱石 西側壁からの突出幅0.25m、東側壁からの突出幅0.15m
羨道 全長3.2m、最大幅1.4m、最小幅1.3m、高2.1m
羨門 高2.1m、幅1.3m(羨道最小幅)、西拡幅0.15m、東拡幅0.15m
前庭部 全長2.4m、最大幅(前庭部入口)1.85m、最小幅(羨門)1.5m
墓道 全長3.0m、最小幅(石積み側壁・礫床との境)1.85m、最大幅6.0m

 

主な遺物:土師器長頸壺

丁寧に精製された粘土で作られた土師器の長頸壺です。近畿地方の古墳などで出土が知られていますが、岐阜県内では類例がなくとても珍しい発見といえます。被葬者と近畿地方との強い関係性がうかがえる遺物です。

段尻巻古墳 土師器 長頸壺
段尻巻古墳の石室内から出土した
土師器 長頸壺(はじき ちょうけいつぼ)
段尻巻古墳 石室展開図 略図
段尻巻古墳の石室展開図(略図)

石造物

山神碑

山神碑
山神碑(移設前)

山の神を祀った石碑です。窯業原料や燃料をもたらす山仕事の安全を祈り、山の恵みを敬うためのものと考えられます。乙塚古墳の墳丘頂上の北端に建てられていました。近隣の住民が建立したと考えられますが、「山神」以外に文字が刻まれておらず、建立年代や建立者の詳細については記録がありません。周辺の出土遺物から、江戸時代以降にこの場所に建てられたと推測されます。

陶祖神石祠

陶祖神石祠
陶祖神石祠(移設前)

この石祠は天保5年(1834)9 月に、久尻の陶工岡田政右エ門が建立したものです。美濃で「陶祖神」を祀った唯一の事例で、窯業の神として信仰されたと考えられます。乙塚古墳の玄室に置かれていました。

碑文
正面 陶祖神
右側面 天保五年 九月吉日
左側面 岡田政右エ門
大正五年二月 改祭祀岡田新一

陶工の石柱

陶工の石柱
陶工の石柱(移設前)

この石柱は安永3 年(1774)8 月に、久尻の陶工岡田[ ]右衛門と東[ ]藤治が石工の僖助に造らせたもので、石祠同様に陶祖神信仰に関係すると考えられます。乙塚古墳の南東隅で見つかりました。
( [ ]は判読不能文字)

碑文
上段 安永三天 甲[ ](午)八月吉日
中段 岡田[ ](政または新)右衛門
東[ ](利)藤治
下段 石工僖助

乙塚古墳と美濃焼の始まり

土岐市の地場産業である美濃焼の始まりも乙塚古墳と関係しています。

美濃焼最古の窯は、乙塚古墳の被葬者が導入に関わったと考えられる隠居山須恵器窯(泉西小学校東)と清安寺須恵器窯(清安寺北)とされています。ロクロを使って器を作り、その器を窯で焼く技術は須恵器に始まり、その技術が少しずつ形を変えながら現在の陶磁器生産まで連綿と受け継がれてきたことから、これらの須恵器窯が美濃焼の始まりと考えられます。

美濃焼の始まりのきっかけとなった乙塚古墳は、後に石室内が陶工たちの工房になり、さらに後には陶祖神への祈りの場となるなど、その1400年という長い歴史の中で度々美濃焼と関わりながら今日まで至りました。乙塚古墳は、東美濃地域史のみならず、美濃焼の歴史においてもとても重要な史跡なのです。

アクセス

鉄道:JR中央線「土岐市駅」から北へ徒歩約13分
バス:泉が丘線・伝産会館線「美濃陶磁歴史館前」下車約4分
自動車:中央自動車道「土岐I.C.」から約9分
 東海環状自動車道「五斗蒔スマートI.C.」から約5分
 「土岐南多治見I.C.」より車で約11分

(注)自動車でお越しの方へ
 史跡への道は非常に狭く、駐車場も2台のため、徒歩5分の距離にある美濃陶磁歴史館の駐車場をご利用ください。

乙塚古墳附段尻巻古墳地図

関連情報

このページに関するお問い合わせ

産業文化部 文化振興課
〒509-5192 土岐市土岐津町土岐口2101
電話:0572-54-1238
ファクス:0572-55-7763
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